*1996年4月より、〔相関社会科学専攻〕から〔国際社会科学専攻相関社会科学コース〕に変更。
■1985年(昭和60年)3月修了 |
|
主体形成の批判的理論 | |
東南アジアの経済構造,従属と開発強権政治体制 | |
■1986年(昭和61年)3月修了 | |
日本の立法過程−利益削減型政策の成功・国民年金法等改正案の事例研究− | |
電電改革の政治過程 | |
マックス・ヴェーバーの宗教社会学−その全体的・統一的解釈への一寄与− | |
世界と主観性−ヘーゲルの『精神現象学』とフッサールの現象学− | |
自己・価値・時間 | |
■1987年(昭和62年)3月修了 | |
技術と自然−近現代の科学技術に関する試論− | |
現代精神医療論−排除の社会学− | |
戦後日本の生産者米価政策に関する政治社会学的考察 | |
■1988年(昭和63年)3月修了 | |
税と為替レート | |
「主婦」の誕生と変遷−日本と欧米・東アジアとの比較を通じて− | |
石油危機以来の転換期における日本政治経済の特徴 | |
対関係論 | |
■1989年(平成元年)3月修了 | |
子どもの比較法制史 | |
The Formulation of Japan's Immediate Postwar Education Policy | |
発展途上国における統治と文化 | |
バクーニンとマルクスにおける人間の自由 | |
正当性問題の構造転換−現代国家におけるシステムと主体− | |
『墨子』における人間と秩序 | |
■1990年(平成2年)3月修了 | |
自由主義の条件−三木清を中心に− | |
フィリピンナショナリズムのディスコースの構造−ホセ・ラウレル回顧録における対日協力問題のテキストインタープリテーション− | |
台湾の民主化問題について−権威主義体制から民主主義体制へ− | |
80年代アメリカの政党再編成 | |
ヨーロッパ・デモクラシー諸国における−比例代表制への移行過程についての研究− | |
パブリッシュする存在としての科学者 −Scientists as Publishing Beings− | |
景気変動と租税特別措置−昭和三十年代を中心に− | |
価値形態論の再解釈−商品・貨幣・社会関係の理論的分析− | |
■1991年(平成3年)3月修了 | |
中国帰国者と日本社会−社会構成原理とエスニシティ研究− | |
地方制度改革における「不決定」形成の位相 | |
ソ連経済改革における労働集団の「主人化」の一分析−国有企業の株式会社化.賃借化− | |
新宗教における教祖のカリスマ−その誕生要因,存続問題,発生過程− | |
子どもの日本近現代史 | |
世紀の転換期におけるフランス社会とデュルケーム社会学 | |
中国農業生産責任制の分析(1979年−1983年) | |
福祉国家における政府間関係−戦後日本の場合− | |
日本の大企業の競争−その独特の構造及び優位性− | |
マグレブ系二世の運動とフランス社会への統合 | |
■1992年(平成4年)3月修了 | |
「コミットメント」の社会学的考察 | |
農園労働者から独立小農民へ−フィリピン・西ネグロス州における砂糖アシエンダの農業改革の計画と現実− | |
西田幾多郎における歴史的形成作用の論理 | |
和辻倫理学と十五年戦争 | |
■1993年(平成5年)3月修了 | |
動物生態学と「人間−社会」観再考 | |
生活世界論の視座−その構造と射程− | |
<資本主義の精神>とは何か?−資本主義の社会学的探求− | |
曖昧さと「新制度論」 | |
日韓経済協力の決定過程−1983年「40億ドル」の決着− | |
国家に対する家族の相対的自律性−戦後日本の「保育所づくり運動」を通して− | |
開かれた社会の思想的基礎−社会哲学における経済学分流:ポパー・ミーゼス・ハイエクにおける方法と思想の関係について− | |
ヴァルター・ベンヤミンと批判−「言語論的」唯物論の諸側面− | |
日本における司法権独立の形成と変遷過程 | |
中国における地域間所得格差の計量分析 | |
■1994年(平成6年)3月修了 | |
日本的社会秩序の特質−メタファーとしての親子関係をふまえて− | |
社会理論における批判と実践−ギデンスとハーバーマス,ブルデューを対比して− | |
戦後日本における大学系ビッグマシンの実現過程−天文学と高エネルギー物理学の事例研究− | |
「ネットワーク型組織」に関する研究 | |
ミシェル・フーコーの統治性研究 | |
日本における人種的なイデオロギーのソフィスティケーション−日本人論にみられるエスニシティ観− | |
■1995年(平成7年)3月修了 | |
科学者集団の社会・政治的行動の分析−加速器計画をめぐるわが国の高エネルギー物理学者の動向を事例として− | |
単一民族神話の起源 | |
「拡張された共感」と個人の選好形成 | |
生命保険の社会学−生と死の比較現代社会論− | |
戦後ドイツ社会における「批判理論」の受容・意義・限界−教育思想との関係を軸に− | |
マックス・ヴェーバーにおける「価値自由」精神の生成−アメリカ旅行を契機とする思想転換− | |
「アナーキズム」と「実存主義」−J.P.サルトルの軌跡を中心に− | |
A・ギデンズ−モダニティーと歴史− | |
■1996年(平成8年)3月修了 | |
戦後日本の地方交付税制度の特質と変容 | |
19世紀西欧における家族表象と規範−その成立と転態− | |
人口と女性−出産・育児の現代的視角− | |
戦後占領期における日韓両国の官僚形成に関する比較研究 | |
「いじめ」の社会関係論 | |
西田、九鬼、小林における審美−内在主義 | |
近代における人間−自然関係の再検討−環境史研究を通じた共存的関係への探求− | |
日本植民地主義と台湾総督府評議会(1921-1945)−法社会史的視点から− |
(以上、総合文化研究科/相関社会科学専攻修了者 以下、総合文化研究科/国際社会科学専攻/相関社会科学コース修了者)
■1997年(平成9年)3月修了 | |
丸山眞男における近代観の再構成 | |
香港で働く日本人女性−アイデンティティの弾力性と安定− | |
社会的表象としてのサラリーマン−その成立と転態− | |
日本企業のアジアに対する海外直接投資戦略−企業間貿易の拡大観点から− | |
チャールズ・テイラーの「自己−コミュニティ−近代」論 | |
無言化される言葉−言説の配分のメカニズム− | |
モダニズムとしての農本主義 | |
「大正」アナキズムの思想 | |
日本の高齢者在宅介護とジェンダー−『参加型』福祉社会の構造と変容− | |
現代日本における対外・対自国意識−「国際社会において名誉ある地位を占める」というモチーフをめぐって− | |
■1998年(平成10年)3月修了 | |
交換・抽象する力−消費社会の− | |
Apocrypha−Language, Race and Ghost Stories in Singapore− | |
北一輝−理想郷としての国家− | |
戦後台湾における中高年の就労忌避と女性労働 | |
自然との共生可能な社会の探求−長野県栄村の「田なおし事業」から農村計画まで− | |
制度の規範経済学−「第二の危機」論争から制度主義へ− | |
近代・他者・野蛮−他者表象の創造機制:その起源と変遷− | |
公共性をめぐる想像力−近代日本の衛生と医学を中心に− | |
競争法の経済分析 | |
近世地域システムの理論と東アジアのなかの日本 | |
近代以後の中国における理想の女性像の変容 | |
■1999年(平成11年)3月修了 | |
サン=シモンにおける「社会的なもの」 | |
ネガティブ・アプローチとしての社会理論の可能性−不正議論と構成的権利論に向けて− | |
アドルノと歴史哲学の問題 | |
インドにおける経済発展と所得分配 | |
同棲する若者たち−「結婚」から距離をおくという独立の形− | |
アジアの発展途上国における女性への教育と開発の関係について | |
「不潔」の発見−植民地台湾における公衆衛生をめぐって− | |
戦間期日本の言説分析 | |
1994年人民元切下げが中国の比較優位構造に対する影響−リカード・モデルでの検証− | |
中国1990年代の消費構造の研究 | |
■2000年(平成12年)3月修了 | |
現代日本における所得税制とその政治過程 | |
炭素税導入による日本経済への影響分析 | |
言語の物質性と社会性−フーコーの考古学における言語の存在とそのシステムの問題− | |
『自由論』、実践の論理学 | |
総力戦における女性動員 | |
想像力の形式としての都市−戦後日本の都市感覚と都市記述− | |
自由への道/自由からの道−ゲーテ・シラー・ルカーチを中心とした精神史的考察− | |
ハチスン道徳哲学体系の発展と変遷 | |
自己論と社会性の問題−起源としてのG.H.ミードとは異なる仕方で− | |
■2001年(平成13年)3月修了 | |
言語・表象・神−トマス・ホッブズにおける自然の征服 | |
第三世界における環境保全型事業の政治化−インドネシア南スマトラ州ムシ・パルプ事業の政治生態学的検討 | |
老人という距たり: 近代日本の《老人問題》とその対象 | |
近代日本の売春−周辺化していく言説の運動− | |
「満洲」という社会的リアリティ−岐阜県郡上村開拓団の実証的研究− | |
大気汚染の社会問題−川崎公害訴訟と住民運動、公共圏 | |
近代日本における「余暇」の変容−大正期から現在まで− | |
現代社会哲学における平等論の再定位−アマルティア・センの意義− | |
戦後日本の国土計画の制度化過程 | |
破綻銀行の経営分析 | |
西周の功利主義思想−『利學』と「人世三寶説」 | |
フェミニズムと政治: 現代日本の〈従軍慰安婦〉問題を中心として | |
複合的平等・正戦・「ユダヤの伝統」 −マイケル・ウォルツァーの体系的解釈のための試論 | |
■2002年(平成14年)3月修了 | |
日韓高齢者福祉政策の政治過程の比較研究 | |
解剖台の上の「死」 −解剖体収集活動と「篤志」の涵養− | |
日本占領下のアンダマーン・ニコーバール諸島−軍政・海洋少年塾・「インド独立運動」 | |
民生部門におけるガソリン需要の計量経済分析 | |
〈子育て支援〉の生成と変容 −日韓米の比較分析− | |
An Empirical Study of Chinese Information Industry: From Macro and Multinational Comparison Perspectives | |
わが国の資本供給国への転換過程に関する動学的分析 | |
都市計画の社会学的解体 | |
The RGT (Red Global de Trueque) -Global Barter Network- in Argentina | |
フランツ・ファノンと人間解放の弁証法 | |
社会性の空間の変容−戦後日本における子ども=社会の揺らぎと解体(1955-1985)− | |
不完全記憶の意思決定理論における放心状態運転手の逆説の解消 | |
韓国における家族規範の深層 −法制を中心とした社会史的考察 | |
■2003年(平成15年)3月修了 | |
中井正一『委員会の論理』の射程 | |
ポスト・サッチャリズムの福祉政策−英国ブレア政権下の職業教育・訓練政策の分析を中心として− | |
「共苦」の連帯: ホルクハイマーの〈倫理学〉について | |
現代の情報空間におけるプライバシー−個人情報保護に関する言説の分析− | |
行政と評価 地方自治体における行政評価導入を軸として | |
現代オーストリア学派の経済思想−カーズナー・ラッハマン・ロスバード:異端派経済学パラダイムに向けて− | |
ジョン・デューイのプラグマティズムとデモクラシー −変革の方法と信念− | |
拡散的公益をめぐる決定への参加志向性 −最も「困難な」参加− | |
インド、ケーララ州の教育先進性獲得の背景要因: トラヴァンコール藩王国における教育拡大プロセスの歴史的考察 | |
■2004年(平成16年)3月修了 | |
企業とNPOの人事交流 企業からNPOへの長期派遣に焦点をあてて | |
台湾における「両性工作平等法」成立の背景と要因 −〈国家〉〈家族〉〈女性労働〉の再編をめぐって | |
R・ミヘルスと20世紀の政治(学) | |
福田徳三の社会政策論 −社会認識と生存保障 | |
人間的偉大さについて | |
現代日本の市町村合併推進政策に関する政治過程 | |
不登校経験の意味付けとその変容 −「〈当事者〉の気持ちになって」を超えて− | |
現代世界秩序構想におけるデモクラシーの可能性と限界 | |
地方自治体における公害防止協定の現代的運用について −その実態調査と分析− | |
戦後期の川崎における朝鮮人の生活空間と地域形成 | |
人間意志とゴーイング・コンサーンの経済理論 −ジョン・R・コモンズ『資本主義の法的基礎』の研究− | |
世紀転換期イギリスにおけるセクシュアリティの歴史社会学 −「同性愛homosexuality」概念の編成 | |
悩み相談の語りに見る「子どもにとっての家族」の変容 | |
住民投票と住民参加 −運動体と代表との関係の分析から− | |
合理的選択としての政党移動 −旧羽田派・新生党グループの実証分析を通じて− | |
中国環境政策の実効性を問う −淮河流域水質汚染対策からの検討 | |
■2005年(平成17年)3月修了 | |
実践的推論と知覚 −アリストテレスの知慮=倫理知の構造− | |
自然法論と法実証主義を超えて−シュミットとラートブルフを中心に− | |
近代日本における「夫・父」役割の変容−新聞の悩み相談の分析を通して | |
ロナルド・ドゥウォーキンの法理論の検討と展開−その可能性と限界− | |
ベトナム北部農村の「新郷約」−政策実施過程における政治性の形成− | |
ハンナ・アーレントの複数性の政治−全体性を逃れる政治の探求― | |
日本国憲法と象徴天皇制の定着過程−岸信介と佐藤栄作を中心に− | |
近代日本の衛生政策と隔離 | |
中国の農村部における所得格差に関する実証分析−北京市と河北省の農村に関する比較研究− | |
■2006年(平成18年)3月修了 | |
資源物の分別排出としてのリサイクル行動に関する研究−東京都日野市を事例に− | |
日本文学における戦場、「兵隊」、社会 −火野、石川、榊山− | |
フィリピンにおける「人口転換」の決定要因−出生数、子どもの教育と健康の分析を通して | |
NPOの組織分析から見た地方自治体のNPO政策−支援制度における審査とNPO評価について | |
許容と改革の政治学 −カントにおける公共的な思考様式− | |
安全/安心のエンジニアリング という戦略? −リスクの社会学に向けての一視角− | |
ウィリアム・モリスの社会思想 −芸術・社会・ユートピア− | |
シオニズムの歴史社会学 ロシア帝国とナショナリズム | |
キリスト教ゼクテと公共哲学 近代パプテスト派における寛容 | |
行政制度改革と政策転換 −日本とスウェーデンの比較政治経済学− | |
中国における循環経済の構築に向けて−再生資源のより効率的なリサイクルシステムの探求 | |
植民地期台湾における近代的育児に関する一考察 | |
■2007年(平成19年)3月修了 | |
ロンドン海軍軍縮問題をめぐる政治過程 明治憲法体制における政党政治の制度分析 | |
ロールズと「統治の技術」 | |
地方自治体の課税自主権に関する一考察 −法定外税の問題を手がかりとして− | |
日本マルクス主義者のアジア認識 −アジア的生産様式論 の思想展開− | |
1920-30年代フランスのシュルレアリスム運動における政治と社会 −アンドレ・ブルトンとマン・レイを中心に | |
介護保険法立法過程における規範的位相の分析 −立法理学 Legisprudence の確立に向けて− | |
メディア空間における「空気」 CMC/非CMCの比較分析 | |
基礎的自治体の環境基本政策過程 | |
Why So Few? Why So Many? Understanding Foreign Labor Flows to Japan in Theoretical Perspective | |
チリ・コンセルタシオン政権の開発政策と所得分配問題 −ポスト新自由主義の開発政策を求めて− | |
繋がり合う多様な性的欲望 ゲイのタチ/ネコという用語系をめぐって | |
熟議民主主義論に関する一考察 | |
■2008年(平成20年)3月修了 | |
コルネリウス・カストリアディスの自治社会 | |
戦後日本の母子保健・小児医療と「障害児」 | |
リビング・ルーム −ある生きられた空間と経験− | |
社会的実践としてのフィクション | |
ゲオルク・ジンメルの「形式」の概念について | |
連立政権下の福祉縮減過程 −1994年と2004年の年金改正を中心に− | |
「努力」をめぐる論理への接近 | |
「反復帰・反国家」論を問い直す | |
ドイモイ初期の労働問題と労働組合 −市場経済化に対応するベトナム労働総連合(VGCL)の認識と活動を通しての研究− | |
現代日本における「障害」と労働 −その漸近線と包絡線− | |
■2009年(平成21年)3月修了 | |
高群逸枝の女性解放思想 −恋愛と族制、『女性の歴史』との関連で− | |
戦後日本における医療労働運動の軌跡 −プロフェッション論の再検討− | |
現代日本における「エリート」の意味論的分析 | |
ベトナムにおける2つのノンフォーマル教育とその機能−ホーチミン市における世帯別調査に基づく比較から− | |
日本社会における西洋芸術音楽の位相 −「演奏家」概念の成立と変容から− | |
日本低炭素社会への道筋 −エコロジカル・フットプリントの政策への含意 | |
ハロルド・ラスキの未完の革命論と現代福祉国家−アナーキー・国家・〈社会民主主義〉 | |
■2010年(平成22年)3月修了 | |
ハロルド・ラスキの初期国家論−政治原理の考案− | |
韓国ベビーブーマー世代女性の離婚−画一的な離婚解釈を超えて− | |
日中環境協力の実績と課題−内モンゴル緑化支援活動を事例として− | |
障害者問題の比較社会学−日米障害者運動における社会統合の諸相 | |
ジョン・デューイとウォルター・リップマンの公共思想−「公衆」の位置付けと可能性− | |
日本の地方政府におけるNPO政策の動因 | |
外国人労働者の子どもの教育機会−韓国における現状と課題− | |
「承認の共同体」の可能性と限界:ピースボートに乗船する若者を事例として | |
ニート自立支援の社会学 |