
今回は、本専攻国際関係論コース博士課程2年生で、日本学術振興会特別研究員でもある金子聖仁さんにお話を伺いました。金子さんは働きながら本専攻の修士課程を修了されました。研究内容や本専攻を選んだ理由などを語ってくれました。
――今どのような研究をしていますか?
専門は東アジア国際関係史・日本外交史です。特に、戦間期から戦時期にかけて行われていた日本の対中国文化事業(当時は「対支文化事業」「東方文化事業」と呼ばれていました)について研究しています。
一見するとニッチなテーマかもしれませんが、私がこの研究に取り組むのには、2つの大きな理由があります。
第一に、この事業が、1900年に起こった義和団戦争後の北京議定書によって当時の中国(清朝)に課された、各国への賠償金を元手にしているという点です。このいわゆる「義和団賠償金」は39年間の分割払いだったため、清朝から中華民国に引き継がれ、中国にとって長期にわたる重い財政負担となります。日本もこの賠償金を受け取るのですが、「対支文化事業」は、それを文化事業の形で中国に「還元」していくという趣旨で始められました。しかし中国国内では、これは日本による「文化侵略」にすぎないとの批判や、文化事業よりも鉄道などのインフラ整備に充てるべきだといった主張がありました。一方で日本側でも、事業の在り方についてさまざまな議論や思惑があり、やがて1930年代には対中国「文化工作」へと変容していきます。こうした背景のもと、文化事業をめぐって日中間で交渉が行われるのですが、その態様を日中両国の史料に基づいて双方の視点から分析することで、当時の日中関係の特質を明らかにできるのではないかと考えています。
第二の理由は、「国家が行う対外文化政策」の意義と限界を歴史的に考察できるという点にあります。今日の日本の対外文化政策、たとえば外務省による広報文化外交(パブリック・ディプロマシー)や、国際交流基金が行っている国際文化交流も、そのルーツを辿ると「対支文化事業」に行き着きます。同事業をめぐる政策過程や葛藤を検討することで、言い換えれば近現代の日本や日中関係を事例として、対外政策や国際関係において「文化」が果たす役割や限界を捉え直せるのではないかと思っています。
――そうした研究を始めようと思ったきっかけや理由はありますか?
私は本専攻の学部(東京大学教養学部・総合社会科学分科・国際関係論コース)を卒業したあと、国際文化交流事業を行う独立行政法人である国際交流基金に就職し、9年間勤務しました。その最後の3年間、長期履修制度を利用して、仕事と並行してこちらの修士課程に通い、現在は退職して博士課程に在籍しています。
学部4年の春、ちょうど国際交流基金への就職が決まったのと同時期に卒業論文のテーマを検討していたのですが、その際、同基金の祖先ないし淵源にあたるような文化事業が戦間期に行われていたことを知りました。特に、最終的に日中戦争へと至る当時の日中関係のなかで、今日的には一見「平和」のための活動と思える文化交流や文化事業が展開されていたことに、意外性と関心を覚えました。なぜこのような事業が行われていたのかという問いから、卒業論文で「対支文化事業」を取り上げたことが、すべての始まりです。
就職後は自分自身が、主に中国における日本語教育や日本研究支援といった対中国文化交流事業に従事し、北京事務所での海外駐在も経験したのですが、実際に文化交流の現場に立ってみて、その難しさを改めて実感することが多くありました。たとえば、広義の外交政策の一環である以上、「国益」を考える必要があります。しかし、文化交流によって実現する「国益」については、立場の違いによってさまざまな考え方があります。また、日本側としてはこうしたいという希望があっても、相手国側からは「いや、それはちょっと困る」と返されることも少なくなく、そのすり合わせにはしばしば難しい調整・交渉が求められました。こうした経験を通じて、「国家事業としての側面」と「国家や国境を越えていく側面」、その二面性が際立つのが文化交流事業なのではないか、と実感しました。そうした実務経験から、いま一度歴史に立ち返って研究していきたいと思いました。
また、一度就職してから大学院に進学した理由について、もともと学部生の頃から学問への関心があり、大学院進学も視野に入れていました。ただ、当時は経済的な理由から難しく、また運よく同基金に採用いただいたこともあり、まずは就職の道を選びました。その後、多少の蓄えもできて、進学が可能な状況になったことが一つの理由です。
より大きなもう一つの理由として、仕事のなかで出会った、日本語教育や日本研究をご専門とする日中双方の先生方の存在があります。学問や教育への貢献と同時に、「日中関係を少しでも良くしていきたい」という思いで尽力される多くの先生方と接するなかで、自分も学問的専門性をもって議論に加われるようになりたいという気持ちが芽生えました。そうした思いから、働きながら修士課程に進む決断をしました。
――進学先として国際社会科学専攻を選んだ理由はありますか?
学部時代からご指導を受けていた本専攻の川島真先生に、働きながら大学院に通うことについて相談したところ、前向きに受け止めてくださったことが、大きな理由です。また、他にも社会人向けの大学院を調べましたが、本専攻国際関係論コースの必須カリキュラムの一つである「スーパーヴァイズド・リーディングス」が、課題図書を読んでそれらの書評(20本)を書くことで単位を取得できる形のため、仕事との兼ね合い上キャンパスに来られる時間が限られている自分の境遇とマッチしていたという理由もあります。
――国際社会科学専攻で今良かったなと思えていることは何かありますか?
研究対象や主題をまず各自が決めて、それを理解するために学際的にアプローチしていくところです。歴史学や法学、政治学などの既存の枠組みがあって、そこから対象を決めていくというのではなく、まず対象があって、それに対して様々な学問を組み合わせて理解していくというアプローチが、自由度が高くてよいと思っています。論文審査のためのコロキアムでも、3名の先生方がシーシス・コミッティーに入られるため、多角的なコメントをいただけます。私は、指導教員が中国外交史の先生で、自分自身は日本外交史を扱っていて、所属は国際関係論という、学問的なアイデンティティが複数あるような形なのですが、そのような状況は本専攻ならではと思っています。
――将来の計画や、進路などを教えてください。
今は、博士論文を完成させることが一番の目標です。将来的には、大学など研究・教育機関に就職して、学術研究に継続的に取り組んでいきたいと考えています。一方で、国際文化交流そのものへの関心も、前職在籍中から変わらず持ち続けています。実務での経験と、研究を通じて得られる知見を組み合わせて、実務と学問をつなぐ形で、文化交流を通じて国際関係が少しでも良くなるよう貢献していきたいと考えています。
――コースを受験する人にメッセージがあれば、お願いします。
大学院入試では、専門的な知識が要求されるので、特に修士課程への入学を目指される方は、国際政治・国際法・国際経済・国際関係史など国際関係の分野の教科書をしっかり読んで、基礎知識をまず身につけることが肝要と思います。私も、北京に駐在しながら、日本から教科書を取り寄せて勉強しました。
また、修士課程に入ってからももちろんトレーニングはするのですが、大学院は専門知識を学ぶためだけにあるわけではなく、知識を自分で生産し、他者に読んでもらえるような形で表現する、そうした学問の作法を訓練する場でもあると思います。その基礎として卒業論文(入試論文)をしっかり書き、論文の書き方・構成などの基礎的な部分を学んだ上で入学されると、円滑な学生生活のスタートになるのではないかと思います。

今回は、本専攻相関社会科学コース博士課程3年で、日本学術振興会特別研究員でもある松井拓海さんにインタビューを行いました。研究内容や本専攻を選んだ理由、また本専攻で良かったことなどを語ってくれました。
――今どのような研究をしていますか?
専門は、社会学です。20世紀の日本における人口問題・人口政策を、歴史社会学的な観点から研究しています。
今は人口統計が発表される度に、 メディアは「過去最低の出生率」を取り上げます。政府の公式の文書にも必ず、冒頭に「少子高齢化」や「人口減少」が問題だと書かれています。 一方、特に私の研究対象の20世紀の日本、厳密には1920年代から1960年代ぐらいまでですが、その当時はむしろ「過剰人口問題」というのが、重大な社会問題とされていました。実際、当時の人口が急激に増加していたことは統計的な事実です。ただ、「人口増加」と「過剰人口」とは、ちょっと違う概念だろうと考えています。過剰と言うためには、どこかに適度な人口のラインを引く必要があります。しかし、どこからが「過剰」になるのか、それをどのような基準で設定してきたのかは、資料を読んでいると極めて曖昧で、よくわかりません。また、どこに「過剰」の線を引くのかは極めて政治的な実践です。
例えば、その過剰人口問題の解決のために、 戦前には南米移民や満州移民が行われてきました。戦後も中絶の合法化・家族計画の推進と並んで、南米移民政策が引き続き行われます。言い換えれば、私の研究の問いは、「人口問題とは何か」ではなく、「私たちは人口問題を語ることで何をしてきたのか」というものです。こうした歴史を紐解くことは、「少子高齢化」「人口減少」という言葉が蔓延する現在を、批判的に捉え直すためのヒントにもなると考えています。
――そうした研究を始めようと思ったきっかけや、理由は何かありましたか?
入試の時は、もうちょっと違うテーマで研究計画を書いたのですが、進学してからいろいろ読んでいる中で、戦後の開拓政策・南米移民政策に興味を覚えたのが大きなきっかけです。例えば、福島第一原発があった土地は、元々戦後開拓地でした。開拓地の生活は苦しいもので、生活難から戦後南米移民として海を渡った人たちも多かったです。端的に言うとそれは「棄民政策」でした。また開拓地は村民の共同体意識が弱く、反対運動が起こりづらいことを見込まれて、原発候補地になっていくわけです。しかし、戦後の南米移民は、年間でも最大16,000人ぐらいで、数としても非常に少なく、戦後史の中でも些細なエピソードとしてしか扱われてきませんでした。これを、もう少しマクロな文脈と結びつけるべきだと思いました。
同時に、私の興味を引いたのは、開拓や移民に関する文献に必ずと言っていいほど登場する「人口問題」という言葉でした。もともと、M.フーコー的な議論に関心があったのもあり、「人口」というフーコー的なキーワードにアンテナが反応したわけです。とはいえ、年間2万人もならない程度の移民では、当時約100万の人口増加には焼け石に水でしょう。にもかかわらず移民は「過剰人口」の解決策とされて推進されるという奇妙な現象が起こっていました。そこで、この「人口問題」というレンズを通して見たら、移民や開拓の問題を戦後日本の歴史の中に位置づけることができると考えました。そこから歴史を戦前にまで遡っていく形で研究を進めている、という感じです。
――大学院進学の理由あるいは、国際社会科学専攻を選んだ理由はありましたか?
私はもともと、東大の本郷、文学部の社会学専修出身で、大学院から相関に来た、というあまりないケースだと思います。
私が大学院を受験したのは、 2022年でコロナ 2年目の年でした。社会学を東大の大学院で学びたい場合、大きく駒場と本郷(本郷には人文社会系研究科以外に情報学環と教育学研究科にもありますが)という2つの選択肢があります。私が受験したときは、人文社会系研究科の社会学専攻は夏と冬の2回受験があり、駒場は冬だけでした。卒論を出してから院試をしようと考えていたので、院試は冬にすることにしました。
おそらく、例年、本郷の社会学と駒場の社会学は、冬の受験日が重なっているはずですが、その年はコロナのせいでたまたま入試日が違ったため、どちらも出願しました。結果的にどちらも合格をいただいたのですが、その上で相関に進学にしたのには大きく二つ理由があります。一つは、もともと、M.フーコーの議論に興味があり、かつ歴史的な題材を使った研究をやりたいなと思った時に、今の指導教官である市野川先生の下で研究するのがいいと思ったからです。7月くらいに大学院での研究について、先生とZoomで面談もしました。
もう 1つは即物的なのですが、お金をもらえる可能性が高かったからです(笑)。東大の文系で、修士課程から生活費を支給される制度は、基本的に卓越大学院くらいしかありません。ところが人文社会系研究科の卓越大学院プログラム(次世代育成プログラム)は学部3年生の時点で応募・採用される必要があります。他方、駒場の場合(グローバル・スタディーズ・イニシアティヴ国際卓越大学院)は、修士の入試一発で採用を決めることになっています。当然、学部3年生の時点で大学院に進学することなど考えてもいなかった私は、駒場の卓越大学院に採用される可能性に賭けざるをえなかった、ということです。結果的にいうと、運よく駒場の卓越大学院プログラムにも採用され、修士課程から生活費程度の経済的援助を受けながら研究を進めることができました。確かに下世話の理由ですが、進学を考える上では、ポジティブに考えるべきポイントだと思っています。駒場に進学しても、本郷の授業やゼミ出席することは可能ですしね。
――国際社会科学専攻で、今、現在良かったなと思えていることは何かありますか。
内部進学が少なくて、他の大学や研究科から来る人が割と多いですよね。社会学、政治学、政治哲学など割と関心や分野もバラバラなのも特徴だと思います。その点、あらかじめグループ化されていないので、お互いに頼り合いやすい環境があるのはありがたいなと思います。
例えば、私は今、相関の社会学系の院生たちと、非公式の研究互助会をやっています。箇条書きの論文草稿や、どう扱ったらいいかわからないデータを持ち寄ってコメントしあったり、査読対応の相談やリジェクトされた論文の検討なんかをする会です。
個人的には修士の頃の反省もあります。コロナだったのもあり、ほとんど大学に来ていなかったので、先輩の顔もわからず、同期同士でもほとんど会話したことがないような状況でした。そうした状況では基本的に研究はうまくいきませんでした。行き詰まって一人で悩みを抱えてしまう前に、フランクに相談しあえて、さらにモチベーションを与え合えるような関係性を院生同士で築ける環境は貴重だなと思っています。
――将来の計画あるいは進路など教えてください。
ひとまずは博論を書き上げることが目標です。その先はまだ考えられていません。
――コースを受験する方々にてメッセージがあれば、お願いいたします。
東大の大学院と聞くと、ハードルが高いと思う方もいると思います。ただ、そんなに気構えることなく、受験してみたらいいのではと思います。私自身も、これを研究したい、というのが明確に定まったうえで大学院を受験したわけではなく、進学した時にはなんとなくこういうことをやってみたい、というざっくりとした方向性だけがあっただけでした(修論もあんまりうまくいきませんでしたが)。
けれど、「何かを考えて文章にまとめないといけない」という状況に自らを置くことには何らかの意味があるし、生産性ばかり求められる世の中では、かなり贅沢な時間の使い方だと思います。これが大学院に入ってよかったなと思うことの一つです。その後に博士に行くかどうかは、予め決めておく必要はないし、修士の研究で面白いものに出会えたら博士課程に進学するということにしてもいいと思います。博士課程に進学したらしたで、別の経済的なサポートも探すこともできると思います。